おじんブログ

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雑な仕事観: 向いていないことは仕事にしないほうがいい

仕事観と書くと身構える人が多いのでラフにした。 こういう話はキャリアステップを狙う人だけの話、と考える人もいるけど仕事と趣味を分けてて充実させたい人でも、むしろそういう人ほど、向いていないことを考えた方がいい。

向いていないこととは

ここで言う向いていないこととは、それを続けていて辛くないということ。別に一流になれなくてもいいけどやるのにそんなに労力を必要としない、という意味。

例えば喋るのが苦手な人は漫才師やコールセンターはできたとしてもかなり限定的で労力がかかる。これは「向いていない」といえる。

逆に機械いじりが好きな人は業務用エアコンやプリンターの整備業務は続けても苦にはならないと思う。これは「向いている」といえる。

なんで向き不向きと仕事が関係するのか

そもそも大半の人は1日の大半を仕事して過ごす。その時間を適正のないことに費やすのは、仮に仕事と割り切っても労力がいる。

1日に使えるエネルギーが10なら、適正がある人なら6で仕事を済ませて4を余暇や生活に使えるとする。

しかし、向いていない人は8または9、酷いときは11を費やしてしまう。残ったエネルギーは僅か、またはマイナスなのでそれを休日の睡眠で解消する。

つまり適正を考慮しないと、余暇を楽しむどころか生活が破綻しかねない。なので趣味を充実させたい人は、最小の労力で済ませられるほうがいい。

また、昇給したいと思うには自分の能力を高めることが必要で、そういう戦略を考えたり実行するにも適正があったほうが苦になりにくい。

なんでこんなことを書いたのか

僕自身が最初の職場で仕事が上手くできず、20代で2回転職する事になり、仕事の適性について突きつけられて考えざるを得なかったからである。

僕の場合は自分の興味がないことは一切といっていいほどに頭に入らなかった。そういう形質は薄々自覚していた。学校の成績がかなり凹凸があった。 そういう形質を自覚していながら、仕事に役立つようなスキルを身につける気はなかった。ただ単に学業で満足していた。

就活では、自分は営業職に向いていないと自覚していながら、就活期間終盤であることや興味のある範囲に近いという理由で特殊な営業職に就職したが、向いていないことをやり続けていたせいか周りに迷惑をかけていることによる罪悪感が貯まりすぎて、不眠とカフェイン中毒が悪化した。

その時は、仕事なんだから、それぐらいできないのは自分が駄目だから、とにかく頑張ろう、という曖昧な形で問題を押し込んでしまい、特に適正を分析をすることもなかった。 それが原因で徐々に精神的に疲弊してしまい、生活に支障をきたすようになった。体重は2年で10kg増えた。

その時の体験があって、仕事における向き不向きは強く意識するようになった。

最後に

始めたきっかけは「当時の職場から離れるため」という不憫な理由で始めたプログラミングも、元々凝り性で中学生の時にHTMLを触っていたような自分には合っていたようで、理解できなかったことが理解できるようになっていき、いくらやっても楽しいと感じられた。 これが「向いている」なんだと感じて、今のエンジニア職をやれている。 「好きなこと」「向いていること」「稼げること」が運良く一致していたのでバイアスが掛かっているかもしれないが、「向いていないこと」はハンディキャップとして常に重りを付けて全力疾走させられるような感覚だと思っているので、もしそういう状況に心当たりがあるなら、適職を考えたほうが良いと思う。